月山富田城

二ノ丸から山中御殿,花ノ壇(2000年5月)

交通:
JR山陰本線安来駅からイエローバス広瀬行き約30分,本町下車. 登り口はいくつかあるが,本町からはお子守口が近い.
お子守口→太鼓壇→奥書院→花ノ壇→山中御殿で約15分. 山中御殿から本丸まで約15分の山登り.
歴史:
保元,平治の頃の武将・平景清によって築城されたといわれています.
文治元(1185)年に佐々木義清が出雲・隠岐の守護として入城し, その後,塩冶,山名などが守護として入城し, 応永2(1395)年に尼子持久が守護代として入城しました.
経久のときに一時守護代を追われましたが, 文明18(1486)年に奇襲により富田城を乗っ取り, 以後,山陰・山陽11ヶ国の本拠として発展しました.
天文11(1542)年には大内義隆の大軍を撃退しました.
経久,晴久の死後,永禄8(1565)年より毛利軍が攻め寄せ, 籠城の末,永禄9年についに開城しました.
関ヶ原の戦いの後, 堀尾吉晴が出雲・隠岐24万石の太守として富田城に入りましたが, 政治・経済の拠点としては不適切な山城ということで, 松江城の築城を始め, 富田城は廃城となりました.
遺構・施設:
標高197mの城域が整備されています.
本丸,二ノ丸,三ノ丸:
山中御殿から七曲がり(山頂への軍用道)を経て上り詰めたところに, 三ノ丸,二ノ丸,本丸と続いています.
山中(さんちゅう)御殿跡:
菅谷口,塩谷口,大手口の最終地点となる富田城の心臓部で, 石垣,門・櫓・塀で守られていました.
花ノ壇:
山中御殿に続く重要なエリアで, 指導力のある武将が暮らしていたと考えられています. 建物が2棟復元されています.
奥書院平:
太鼓壇の上にある広場です.
太鼓壇,千畳平:
勢揃いの場の千畳平と, 時を知らせる太鼓をつるした建物のあった太鼓壇が, 城域の最初の遺構です.
新宮党館跡:
尼子最強軍団・新宮党の館跡に, 国久,誠久,豊久,敬久の墓と大夫神社の祠があります.
歴史民族博物館から徒歩約18分です.
歴史民族博物館:
休館日(歴史民族博物館):
毎週水曜日と12月29日〜1月3日.
入場料(歴史民族博物館):
200円(2000年5月現在)

月山富田城案内図

山麓から 山中(さんちゅう)御殿跡
二ノ丸(本丸から) 本丸

小さい写真をクリックすると,大きな写真が見られます