米子城
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本丸下より本丸と天守台石垣(2000年5月)
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- 交通:
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JR山陰本線米子駅から徒歩12分.山頂までは,徒歩5,6分.
- 歴史:
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天正年間に吉川元春が飯山に築いたのが始めと言われています.
その後,天正19(1591)年から,並んで立つ湊山に,
吉川広家が4層の天守を中心として城地の構築を始めました.
吉川広家の転封後,中村一忠が伯耆18万石の太守として入城し,
4層天守の横に5層の天守を建て,城地の縄張りを完成させました.
米子城は,
天守を中心とする湊山,
二ノ丸の丸山,飯山の三ノ丸から構成されています.
中村一忠急死・断絶の後,加藤氏,池田氏を経て,
寛永9(1632)年に鳥取城に入城した池田光仲の家老,
荒尾成利が米子城に入り,以後明治まで続きました.
明治維新の後,明治12年頃天守は売却され,壊されました.
- 遺構・施設:
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標高90.5mの湊山の城域が整備されています.
- 本丸:
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山頂に,本丸および天守台の石垣と,
鉄御門跡,水手御門跡が残されています.
天守台には,吉川広家の4層天守と,
中村一忠の5層天守が並んでいました.
- 内膳丸:
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本丸西北の出丸です.
- 枡形門跡:
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城域の入口にある門跡です.
- 武家屋敷長屋門:
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禄高120石の小原家の長屋門を移築したものです.
江戸中期の建築で,木造瓦葺き入母造りの平屋建てです.
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米子城案内図 |
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