柳川城
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本丸跡(2000年7月)
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- 交通:
- 西鉄柳川駅徒歩25分(バスの場合,柳川高校前下車).
- 歴史:
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永禄年間(1558〜1570)に蒲地鑑盛によって築かれた,
水の利を生かした平城です.
石垣はないものの,
堀の水門の開閉により城内の水が増減できるようになっており,
また,城内に水田を擁しており,難攻不落を誇っていました.
忍城と並ぶ天下の二大浮城と言われ,
「柳川3年,肥後3月,肥前,久留米は朝茶のこ」と歌われています.
天正8(1580)年に,鑑盛の子鎮漣(しげなみ)が,
龍造寺隆信の大軍による数ヵ月におよぶ攻撃を受けましたが,
柳川城はびくともしませんでした.
このため,蒲地鎮漣は龍造寺隆信により謀殺され,蒲池氏は滅亡しました.
天正12(1584)年には大友氏による筑後侵攻がありましたが,
このときも柳川城はびくともしませんでした.
天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州征伐後,
立花宗茂が立花山城から移りましたが,
関ヶ原の戦いにより慶長5(1600)年に改易となりました.
慶長6(1601)年に田中吉政が筑後を領して入城し,
5層の天守を築きました.
田中氏改易後,立花宗茂が12万石で返り咲き,
明治維新まで立花氏の居城として続きました.
- 遺構・施設:
- 本丸部分に盛り土され(?)石碑が建っています.
城跡は柳城中の敷地になっています.
城の掘割は,現在川下りのコースとなっています.
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本丸跡 |
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