鳥取城

山上ノ丸(本丸)石垣(2000年5月)

交通:
JR山陰本線鳥取駅より徒歩20分,または,砂丘行きバス西町下車徒歩3分.
山頂へは,天球丸横から15〜20分
歴史:
成立起源ははっきりしていませんが, 天文14(1545)年に因幡守護・山名誠通が築いたという説や, 天文12年頃に因幡守護の山名氏と但馬守護の山名氏の対立において, 但馬側勢力が布施天神山城攻略の拠点として築いたという説があります.
「飢え殺し」で有名な籠城戦は,天正8(1580)年に起こりました. 城主・山名豊国が羽柴秀吉に降伏しましたが,家臣は従わず, 変わって吉川経家が入城して抗戦しました. 限界を超えた4ヶ月の籠城の後ついに開城し,経家は切腹し, 落城後は宮部継潤が入りました. 慶長5(1600)年に池田長吉が入城し近世城郭の基礎を築き, 元和3(1617)年に池田光政, 寛永9(1632)年に池田光仲が入城し明治まで続きました.
明治維新後,明治12年に政府の指示により建物が取り壊され, 現在のような形となりました.
遺構・施設:
標高264mの山頂の中世山城と, 山麓の近世城郭の石垣群(総延長400m)が整備されています.
山上ノ丸(本丸):
中世山城の鳥取城本丸で,二層の天守がありましたが, 元禄の頃焼失しました. 天守櫓の他に,著見櫓・多聞櫓やそれを繋ぐ走櫓などの建物があり, 池田氏の時代には御天守奉行が守っていました.
天球丸:
二ノ丸の上にある曲輪で, 池田長吉の姉である天球院に由来する曲輪です. 東側隅に三層の櫓などがありましたが, 享保5(1720)年の大火で焼失しました.
二ノ丸・御三階櫓跡,菱櫓跡:
山下ノ丸のほぼ中央に位置する曲輪で, 池田長吉以降の藩主の居館が置かれました. 南西隅には御三階櫓,南東隅には菱櫓と走櫓, 北東隅は正門の鉄御門がありました.
太鼓門跡,中ノ御門跡:
大手口の中ノ御門と,その先にある太鼓門を経て, 三ノ丸,二ノ丸に至ります.

鳥取城案内図

中ノ御門跡から城山 太鼓御門石垣
二ノ丸菱櫓と天球丸(奥) 山上ノ丸(本丸)と天守台

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