松山城

天守(1999年7月)

交通:
JR松山駅から市電(道後温泉行き)大街道下車.ロープウェイ.
または二ノ丸から徒歩で登山(15分程度?).
歴史:
関ヶ原の戦いで加増された加藤嘉明が, 慶長7(1602)年にそれまでの正木城から新たに勝山に築城を開始しました. 翌年には松山と改名して嘉明が新城下に移りましたが, 24年後の寛永4(1627)年に完成しました.
その後すぐに嘉明は会津に転封となり, 蒲生忠知が入り二ノ丸の増築を行ないましたが,病没しお家断絶. その後,松平定行が入り明治維新まで続きました.
寛永19(1642)年にそれまでの五層天守を三層に改築し, 天明4(1784)年に落雷で焼失したのを, 文政3(1820)年から35年かけて復興したのが現在の天守です.
昭和に入って,小天守やその他の櫓が戦災や放火で焼失しましたが, 木造での復元が進められています.
遺構・施設:
松山城は,海抜132メートルの勝山山頂に本丸を置き,中腹に二ノ丸, 山麓に三ノ丸を置く連立式平山城で, 姫路城・和歌山城と並び,三大平山城とされています.
天守(重文):
三重三層地下一階付. 小天守,南北隅櫓と連携する造りになっています.
一ノ門・南櫓(重文):
本壇部分の入口の門で, 二ノ門,三ノ門と櫓によって枡形を形成しています. 1999年7月現在工事中.
乾櫓(重文):
本丸の西北隅にある二重櫓. 乾門・同続櫓などとともに,搦手防御を担っています. 正木城からの移築と伝えられています.
野原櫓(重文):
本丸の北側を防衛する櫓です.
紫竹門(重文):
本丸の大手と搦手を仕切り,搦手を固める門となっています.
隠門(重文):
筒井門の脇門で, 戸無門から筒井門に迫る敵の側背を襲う構えとなっています.
戸無門(重文):
筒井門・隠門と合わせて本丸大手正門を固める門で, 建築様式は高麗門ですが, 昔から戸がなかったためこの名前があります.
その他:
その他,木造で再建された櫓や門が多数あります.
天守(正面)・小天守(左)と
一ノ門南櫓
1999年現在工事中
乾櫓(正面)と乾門(左)
戸無門(左)と筒井門(右)
後方は太鼓櫓
隠門続櫓下の石垣

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