福岡城
|
天守台石垣(2000年7月)
|
- 交通:
-
福岡市営地下鉄大濠公園駅下車徒歩3分.
- 歴史:
-
慶長5(1600)年,
黒田長政(黒田官兵衛の子)が関ヶ原の戦の功により筑前52万3千石を得て,
翌慶長6(1601)年から7年がかりで福崎の地
(父祖の地備前福岡にちなんで福岡と改名)に築城しました.
この城は朝鮮の晋州城を手本にしたと言われ,
本丸,二の丸,三の丸からなり,総面積がおよそ24万坪に及びます.
天守台が設けられていますが,天守は造られませんでした.
以後,12代270年余にわたる黒田氏の居城として続きました.
- 遺構・施設:
-
- 本丸,二の丸,三の丸:
-
城の全域(?)が公園として整備され,
二の丸,本丸,天守台の石垣が残されています.
- 大手門:
-
福岡城の大手門は上の橋と下の橋の二ヶ所にあり,
現在は下の橋の大手門が残されています.
もともと二層の屋根を持つ桝形門でしたが,現在は一層になっています.
2000年8月に,不審火により焼失してしまいました.
- 潮見櫓:
-
47あった櫓の一つで,もともとは西北隅にあったものですが,
大正のはじめには黒田家別邸に移築され,
昭和31年に現在の地(大手門の裏手)に復元されました.
- 黒田如水隠居地(三の丸御鷹屋敷)跡:
-
現在はボタン・シャクヤク園となっており,屋敷跡の石碑が立っています.
- 旧母里太兵衛邸長屋門:
-
黒田24騎の一人である母里太兵衛の屋敷に建てられていた長屋門で,
昭和40年にこの地に移築されたものです.
- 名島門:
-
天正15(1587)年に小早川隆景が築城した名島城の脇門で,
黒田長政が名島城から福岡城に移るときに,
林掃部に下げ渡され邸宅の門として使用されていたものです.
戦後現在の地に移築されました.
- 祈念櫓:
-
本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたもので,
万延元(1860)年に竣工した櫓です.
大正時代に大正寺境内に移築され,
その後旧来の場所に移築復元されました.
- 多聞櫓(重文):
-
南丸(二の丸南郭)にある櫓で,
江戸時代からそのまま残る数少ない建物の一つです.
西南隅にある二重二階切妻造りの隅櫓と,
隣接する桁行30間の平櫓からなります.
建物の軒先を支えている方杖と端隠し板で垂木口を隠す工法は,
福岡城の特徴とされています.
|
案内図 |
小さい写真をクリックすると,大きな写真が見られます